現代の「女性らしさ」について、女性らしくない女性が語ってみる

私は昔から「○○ちゃんは、外見は女性だけど中身は男性だよね」と言われて育ってきた。

 

小学生の頃、同級生の女子の間で流行っていたのは「キラキラしたシールを集めること」だった。私は男子とガチでドッジボールをしていた。

 中学生の頃、妹に初めて彼氏ができた。携帯小説の勃興期で「『恋空』読んだ?」がよく話題に上った。私は人殺し推理小説を読んでいた。

 就職して、周囲の女性がコトブキ退職するのを見ながら、結婚をしてからも、男性が8割を占める職場にしがみついている。

 

今回は、「女性らしさ」について、女性らしくないと言われ続けてきた女性が考察してみようと思う。

 

そもそも「女性らしい」というのは、また「男性らしい」というのはどういう意味なのか?

 

 

例えば、日本では「男は度胸、女は愛嬌」というが、これは女性は愛嬌があるほうが女らしくて魅力的だ、つまり、女性というのは、愛想が良くあるべきだ、とか、笑顔を見せてひとに感じ良く振る舞うほうが女性としての魅力がある(そうあるべきだ)、という考え方である。

                  (wikipediaより)

 「女性(男性)はこうあるのが魅力的だ」という考えがまずあり、「そうあるべきだ」という考え方に至っている。

 この考えによると、愛嬌のない私は残念ながら、「そうあるべき状態にない」ということになってしまうが、はたしてそうなのか。

「女らしさ」は、文化圏(中略)などの影響を受けつつ形成され、多様である。同一地域、同一文化圏であっても、時代とともに変化してゆくことは多く、ある人が思い描く「女らしさ」も、年齢や経験とともに変化してゆくことは多い。

                  (wikipediaより)

 「女性(男性)らしさ」は属する文化圏等により多様であり、かつ固定されることなく時代の変遷に伴い変化していく。また、同じ時代・文化に属していても、また同じ人が考える「女性(男性)らしさ」さえも、年齢や経験を経て変化していく。

 

 「女性らしさ」が固定された概念ではないのだとすれば、「現代の女性らしさ」は何なのか?

 

 少なくとも、女らしさということばの意味としては、「女は愛嬌」という時代はとうに終わっている。

 

 そもそも「女性らしさ」という言葉は、前述のように「○○のようにあるべき」という意味で使われることが多いが、現代の「女性らしさ」が私たちを苦しめている部分があると思う。

 

 フルタイムで勤務し、家事を一部担い、出産するかどうかを悩み、出産してからも家庭との両立で悩む。一方で、「女性だから衣服に気を遣うべき」「女性だから酌をすべき」「家事は得意であるべき」などと、「女らしさ」という言葉で、少なくとも、「こうあるべきだ」と押し付けるのは間違っている。

 

 

 「女性らしさ」に縛られ続けてきた私たちは、これからも社会等で戦っていくが、その言葉の意味すらも時代によって変わっていく。他人から押し付けられる「女性らしさ」が、アナログ機器のように時代に取り残されていくといいと思っている。